「もう火箸は誰も買ってくれない!」
追い詰められた、52代目明珍宗理は何を考え、
どう行動したのか!?
直販コンサルタント島が見た、
「飛躍の瞬間」
シリーズ第3回
企業や個人がブレイクする
飛躍の瞬間には何があったのか?
そこからなにを学び、
どのように直販売上アップに活かすのか。
第3回は、
姫路で870年続く鍛冶屋、明珍本舗
音響明白にして玉の如く
類稀なる珍器なり
時は平安時代末期、
源氏や平家などの武家が台頭しはじめたころ。
近衛天皇が、勅命で作らせた鎧(よろい)と
轡(くつわ:馬に手綱をつける金具)を
称賛した言葉です。
この甲冑匠は、明珍(みょうちん)という
名を天皇から賜り、以来、明珍家は
870年の時を経た今も永続しています。
このような超永続企業は、
常に同じコトをやり続けてきたわけではなく、
自分たちのコアは頑なに守りながらも、
何度も変化、脱皮を繰り返して、
生き残ってきているからこそ、
永く続いてきたのです。
明珍家も時代の変化に揉まれながら、
その商品の形態を変えてきました。
○ 安土桃山時代まで
合戦が盛ん ⇒ 甲冑の需要あり
○ 江戸時代
合戦がなくなる ⇒ 武具の手入れという需要残る
○ 明治維新後
武具もなくなる ⇒ 火箸作りに転換
○ 昭和40年代
家庭での火鉢や炭の使用が減少 ⇒ 火箸で風鈴を作りはじめる
明珍家は代々、鉄の鍛造技術の伝統を
守り続けています。
甲冑の需要がなくなったときにも、
その技術を活かして、火箸に業態転換
することができました。
しかし昭和35年ごろからの、石油ストーブ、
ガスコンロの台頭により、火箸の需要は
完全になくなりました。
そんなときに家業を継いだ
52代目(!!)明珍宗理(むねみち)氏
は、借金を背負っての出発。
ただひたすら、
「家業を絶やすわけにはいかん」
「何とかやりたい」
という気持ちだけ。
代々伝わってきた鍛え方によって、
火箸が触れ合うときに、澄んだすばらしい
音がする。この音を何とか使えないか。
と思い、5年の試行錯誤の末、
火箸風鈴という形を作り上げました。
出典:業務用オーディオ
この風鈴をつくろうとひらめいた瞬間が、
飛躍の瞬間です。
では、なぜそのようなひらめきが生れた
のでしょうか。
明珍家のコアは、表に目に見えるのは、
「鍛造技術」です。
しかし本当の明珍家のコアは、
目には見えない「音へのこだわり」
ではないか。と私は考えます。
「音」は明珍という名の由来でもあります。
明珍家の作る甲冑を身にまとって、
馬に乗って走るときの音は、
他のどんな甲冑匠もマネのできない
誇らしげな音がしたのではないでしょうか。
明珍の甲冑はその音で、
高いブランドとステイタスを
持っていたと想像できます。
また、江戸時代、その澄んだ音を放つ
甲冑を身に着けて、公式行事に出ることが、
どんなに晴れがましいことだったでしょう。
鍛造とはひたすら鉄を打って鍛えることの
繰り返し。
「形はできても音はでない。音が出るように
なるまで、打って打って打つだけ。
自分で会得するしかない。」(明珍宗理)
これが伝統の職人の世界。
「打ち方」を伝承するのではなく、
「音」という評価尺度を伝承したのです。
その「音へのこだわり」が、
家業が追い込まれた中で、
風鈴という発想につながったのです。
この明珍家の「音へのこだわり」は、
こんなところへも連鎖しています。
47年もの間、現役の商品として第一線で
活躍しているソニー製品があります。
放送用マイクロホンC-38Bです。
1966年に世に出たこのマイクは、
「これを使えば間違いない」と、
全世界のスタジオや放送局の
標準マイクとしていまだに現役です。
出典:ソニー 業務用オーディオ
このマイクは当時の先端技術を駆使して
開発されました。最終的な音質検査に
用いられたのが、明珍火箸でした。
明珍火箸を糸をつないで鳴らすと、
清涼感と奥行きのある音がします。
この音色と余韻を、
マイクでどう表現できるかが、
音質の決めてとなりました。
明珍家の「音へのこだわり」が、
ソニーのマイク開発者の音への執念に通じ、
その執念が世界に通じたのでしょう。
いまだに色あせることなく。
直接お客様にモノやサービスを販売
する直販で、
顧客に最もアピールしてほしいものが、
この「こだわり」です。
代理店が言うよりも、
数倍も説得力があります。
なぜなら自分で作ったモノ、
あるいは自分が手を動かすサービス
だからこそ、こだわりが相手に
直接伝わるのです。
あなたの直販しているモノ、
サービスのこだわりは何ですか?
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