吉野家のうまさへのこだわりは、「見えない知」として組織の中に存在します。
吉野家は2014年4月、牛丼の味改良を発表しました。
100年続く吉野家の牛丼の味を変える、ということは大きな決断ですが、この味を決めているのはいったい誰なんでしょう?
社長?
開発責任者?
開発担当者?
最終的な決断…
この集団の中に埋め込まれている知を、我が恩師常盤文克(元花王会長)は、「黙の知」と名付けました。
一般的に、経営学では「暗黙知」がよく知られています。
もともとは、マイケル・ポランニーが「自転車の乗り方」のように言葉で表せない身体的な知識、経験を「暗黙知」と呼んだことが発端です。のちに経営学者の野中郁次郎が、職人が持っているコツや勘を「暗黙知」と定義し、明文化することのできる「形式知」と対比して知のマネジメント論を展開しました。
「暗黙知」は「形式知」化することで、共有化しやすくなる。という考え方があり、金型の職人技を形式知化して一世風靡したインクスなどは、その典型的な例としてあげられます。
常磐文克のいう「黙の知」は「暗黙知」とは異なります。
「黙の知」は集団に存在します。いわゆる社風とか伝統と呼ばれるものです。
私が16年間いたソニーにはまさに「黙の知」がありました。いわゆる「ソニーのDNA」と呼ばれるものです。かつてこの「ソニーのDNA」こそが、社員の情熱を突き動かし、モルモットと呼ばれることを喜び、新しくてユニークな商品を次々と産み出していました。
しかし、「黙の知」これもまた変容していくものです。私が入社した時のソニー社内の雰囲気と、16年後の雰囲気は明らかに違います。そもそも「ソニーのDNA」ってなんなんだ?という議論は社内でも散々しましたが、もともと言語化できない知ですから、ひとつの形式知に集約できるはずもありません。
見えないけれども確かにある「黙の知」。
この「黙の知」を集団で熟成していくことは、産業革命による近代化を推し進めてきた大量生産的な発想、人間の機械化とは対極をなす思想でなければできません。
自然の中にあるセンスオブワンダー(レイチェル・カーソン)のような発想。または般若心経の「色即是空、空即是色」のような思想のほうが参考になります。
集団の知である黙の知は、つかみどころのない知です。
確かにあるんだけれども、どこにあるか定かではない。
そんな知です。
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