広島のオタフクソースが、
広島県外に進出したのが1974年。

主力商品「お好みソース」を売りだした
1957年から17年もかかっています。

それはお好み焼き専用ソースならではの、
技術的な課題があったからです。

 

ウスターソースからお好みソースへの
進化の鍵は、「とろみ」でした。
とろみをつければ、お好み焼きを焼くときに、
鉄板にソースが垂れずに、
ソースの酸味が蒸発してむせることもない。
澱粉を加えてとろみをつけると、
ソースが塩辛く感じます。
お好みソースは塩分と酢の割合を減らし、
その分、野菜、果物の甘みを強めて、
味を調整しました。

野菜、果物などには天然の酵母菌が
付着しています。
酵母菌がソースに混入しても、
塩分や酢が発酵を抑える働きをします。

ところが、お好みソースは、
塩分と酢の割合を減らしたので、
発酵しやすいソースになってしまいました。
そのため、店舗に納入したソース瓶が、
発酵して万が一破裂した場合には、
オタフクソースは、現場にかけつけて
清掃するサービスを行っていました。

オタフクソース白黒
出典:オタフクソース お好みソースの歴史

しかしこれがアダとなって、
オタフクソースの商圏は、
広島を出ることができなくなっていたのです。

 

これを解決したのは技術です。
100度以上で加熱殺菌する技術が開発され、
酵母菌の問題は解決しました。
お好みソースの瓶が破裂する心配が
なくなり、安心して全国販売できるように
なったというわけです。

技術あっての全国展開なのです。