ダイヤ精機は、大田区の町工場です。
どこにでもありそうな精密加工部品メーカーです。

他の町工場と明らかに違うのは、
社長が41歳の女性ということです。

その経営改革の手腕が認められ、
諏訪貴子社長は、
日経のウーマン・オブ・ザ・イヤー2013の
大賞を受賞しました。

 

諏訪社長が「すごい女性」だから受賞した。
と考えるのではなく、
諏訪社長がやっている改革を、
日本の多くの中小企業が参考にして、
自分たちも改革できるという勇気を与えたことが、
受賞の意味だと思います。

 

32歳の専業主婦、諏訪貴子さんは、
どうやってダイヤ精機を改革し、飛躍
させたのでしょうか。

飛躍の瞬間に迫りましょう。

 

父親の突然の死が、諏訪さんの人生を
一変させました。
右も左もわからないまま、父親の
経営していた町工場を継ぐことに
なりました。

社長就任した2004年以降、
景気衰退とともに、近くの工場は次々倒産。

危機感を感じ、諏訪さんはベテラン職人に、
若手を指導するように呼び掛けますが、
うまくいきません。

自分の父ほどの年齢のベテラン職人たち。

「仕事は教えてもらうのではなく、盗め」

典型的な職人気質を押し通し、
若手社員との間に大きな溝がありました。
若手社員とも会議を開きましたが、
はっきりと発言する若手もおらず、
さっぱり手応えなし。

作業効率も悪く、売上が伸び悩み。
はじめての工場経営、わからないながらも、
いろいろと企画して改革を試してみても、
すべて不発。

 

八方塞がりの中でやけくそで開いたのが、

「悪口会議」

会社の悪口くらいは言えるだろう。
と若手社員を召集しました。

最初は自分の悪口ばかり言われるのでは。
とひやひやしたそうです。
ふたを開けてみると、諏訪さんは
拍子抜けしました。

工場のガラスが割れている。
作業で、かがむので腰が痛い。
台車の載せる作業が効率的でない。

など、たわいのないことばかりでした。
そこで、諏訪さんはベテランに、
なぜ、かがみながら作業するのか
尋ねたところ、

「昔からそうだから」

という答えでした。

そこで、ベテランに椅子を用意して、
座りながら作業してもらったところ、

「これは楽で効率がいいな」

と驚くほど素直に納得してもらえました。

ダイヤ精機

出典:ダイヤ精機

また、ベテランが一工程を終えた重い金型部品は、
一旦床に置いていました。
それを若手が台車に載せ替えて、
次の工程に運んでいました。

諏訪さんは台車を一台購入。

ベテランは台車に直接部品を置いていき、
ある程度数がたまったら、
若手が台車を運ぶように改善。

重い部品を床から台車に載せ替える作業が
なくなりました。

 

こうしてちょっとした改善を積み重ねて、
目に見えて作業効率が上がってくると、
若手もどんどん悪口を言い始めました。

今の時代にパソコンがないのはおかしい。

さっそくパソコンを導入して、
ベテランでも使えるようなバーコード
生産管理システムを導入しました。

 

そうやって意見が採用されるようになると、
若手はどんどん積極的になり、
ベテランから教えてもらうようになって、
工場に一体感が出てきました。

 

ある時、諏訪社長は
若手とベテランが激しく口論
しているのを見かけます。

本気でぶつかり合えるからこそ、
熱い議論ができる。
ととても嬉しくなりました。

それから3年連続で売り上げは伸び、
会社を成長軌道に導くことが
できたのです。

 

飛躍の瞬間は、もちろん

第1回 悪口会議

の開催です。

しかし、この悪口会議にたどり着くまでに、
諏訪社長は、様々な改革のための仕掛けを
試していました。全部失敗でした。

失敗し続けても、試し続けたからこそ、
その中のひとつの悪口会議が当たったのです。

つまり、悪口会議というすばらしいアイデアを
考えようとする前に、まずはわからないながらも、
試し続けることが大事です。

 

飛躍は、スーパーウーマンやスーパーアイデアが、
生み出すものではなく、やり続ける中で、
きっかけをつかむものなのです。