無名の山中研究室、新規学生を確保しなければ先はない。

その時、山中先生は、何を考えどう行動したのか?

 

直販コンサルタント島が見た、
「飛躍の瞬間」
シリーズ第4回

企業や個人がブレイクする
飛躍の瞬間には何があったのか?
そこからなにを学び、
どのように直販売上アップに活かすのか。
第4回は、

ノーベル医学・生理学賞の山中教授、
ヒトiPS細胞生成技術の確立を成し遂げた、
飛躍の瞬間に迫ります。

 

山中教授の挫折と成功のストーリーは、
あまりにも有名。
どこにでも書いてあるので、
今回は、ごくごく微細な一部分だけを
とりあげて、その瞬間を捉えてみましょう。

 

医学部を出たものの、
手術が下手だった「じゃまなか」先生。

難病患者に、なすすべもない状況を目の前にして、
治療法を基礎から研究してみたい。
と、研究者の道を選びます。

アメリカ留学で思う存分研究に没頭し、
研究者としての実力をつけて、日本へ帰国。

 

帰国直後は実験用マウスの世話係に追い込まれ、
一時は希望を失いかけましたが、
奈良先端科学技術大学院の助教授に採用され、
晴れて自分の研究室を持つことになります。

 

大学の研究室は、春になると学生の争奪戦になります。
無名、実績なしの山中研究室は、
下手をするとひとりの学生も希望しない。
というさびしい結果になる可能性もあるわけです。

 

そこで、考えた作戦が、

 

夢のある大きなビジョンを示す

 

ということでした。

それが、

 

「受精卵を使わずに万能細胞を作る」

 

という大きなテーマでした。

 

ちょうど前年にヒトのES細胞作製が米国で成功。
ES細胞という万能細胞から、
神経や様々な臓器を作り出せる。という
夢で研究者たちは沸き返っていました。

 

そうなると、
「ES細胞で○○を作る」
というテーマに人気が集まると考えるのが普通。

 

しかし無名の山中先生の立場では、
「目の前の実現できそうな目標」

を掲げては、
他の研究室との学生争奪戦に勝てないのです。

 

ES細胞には2つの大きな問題がありました。

 
    1. ヒトの受精卵から作るということ
    2. 移植すると患者自身の細胞ではないということ
 

受精卵ということは、
まぎれもなくそこに一人の人が誕生したわけですから、
その生命から臓器を作る。とか
研究のために大量に生産する。
と簡単に考えることはできません。

 

また、他人の細胞を移植すると
拒絶反応が起こる可能性は
非常に高いと容易に想像できます。

iPS

iPS細胞

写真:京都大学 山中伸弥教授
 
 

あくまで、難病の治療法を開発するための研究
ととらえている山中先生は、

 

「ES細胞ではなく、患者の細胞から万能細胞をつくる」

 

というビジョンを持つに至ります。

このビジョンは、

「卵から卵焼きをつくるのではなく、、
鶏肉から卵焼きをつくる」

というくらいぶっ飛んだ発想ではありましたが、
3人の学生を山中研究室に獲得することに成功しました。

 

そのうちの一人が、iPS細胞実現のきっかけになる
重要なアイデアを出すことになります。

 

飛躍の瞬間は、ここにあります。

 

信念に従って、ビジョンを掲げること

 

iPS細胞実現にいたるプロセスの中で、
壁を乗り越えるための、飛躍の瞬間は
数多くあったでしょう。

 

しかし、それらは、
この大きなビジョン、テーマがない限り、
生まれなかったものです。

山中教授が、なんとか学生を集めたい。

という切羽詰まった状況の中で、
小手先ではなく、
信念に従ったビジョンで勝負した
瞬間が、


私は飛躍の瞬間だと考えます。

 

なんとかお客さんを集めたい。

 

それは小さな欲望なのかもしれません。
しかしそのために、
      • キャッチフレーズを考える
      • ホームページを工夫する
      • 商品を改善する
      • お客さんに手紙を書く
どれもちょっとした作業の積み重ねなのですが、

 

信念に従ったビジョンに基づいて、
一貫していること。

 

それが大事です。

 

必ずお客様には伝わります。
そして「この人から買おう」
という行動につながります。

 

あなたの信念、ビジョンはなんですか?