1964年東京オリンピックの聖火台が、
鋳物って知ってました?

いまでも国立競技場で大事に磨かれて保存
されています。

 

 聖火台:国立霞ヶ丘陸上競技場 (東京都 新宿区)

聖火台:国立霞ヶ丘陸上競技場 (東京都 新宿区)



これぞオンリーワン、直販の鏡、辻谷工業

で、オリンピック3大会連続
金銀銅を独占した、
辻谷工業の砲丸をご紹介しました。
この砲丸が鋳物です。

そして辻谷工業のある
埼玉県川口市は鋳物の町で昔から有名です。

国立競技場の聖火台は、
1958年のアジア競技大会のために、
川口市の鋳物師(いもじ)、
鈴木萬之助さん、文吾さん親子が、
造ったものです。

川口市は、
2020年東京オリンピックの、
新国立競技場でも、
川口の鋳物で聖火台を。
と今年の4月からアピールしています。

 

1958年当時、
大手造船会社がコスト面で、
聖火台鋳造に難色を示す中、
鈴木萬之助さんは、採算度外視、
職人の心意気で引き受けました。

 

5月に大会を控えた、2月半ば、
昼夜を問わない突貫作業を3か月間続け、
なんとか鋳型に高温で解けた金属を
流し込む作業までたどりつきました。

しかし、流し込む作業の途中、
鋳型が突然爆発。
萬之助さんは失敗のショックと過労で倒れ、
8日後に亡くなってしまいました。

 

納期まで残りたった一カ月で、
また一から作り直し。

父を亡くした文吾さんは、
萬之助さんの葬儀にも出ず、
事故直後から寝食を忘れ、
不眠不休で作業を続けました。

 

そして無事に成功。

 

こうして聖火台は誕生したのです。

「引き受けた仕事は命がけでやるのが職人。
おやじはそのことを教えてくれた」

これが文吾さんの言葉です。

 

2020年東京オリンピック開催が決定し、
こんな熱いエピソードが、
スポーツでも、技術の世界でも、
たくさん生まれると日本の将来が明るくなると
思います。

がんばろう!オールニッポン。