明治時代、文明開化、西洋化の大きな流れの中で、
和釘は洋釘に代わりました。
それまで和釘の一大生産地だった燕三条地域の
各製造業者は、銅器、キセル、矢立の生産へと
転業しました。

しかし、
銅器は、アルミニウムの出現により一般家庭では
使われなくなりました。
キセルはタバコに駆逐されました。
矢立は万年筆にとって代わられました。

 

それでも燕三条はさらなる転業により、
洋食器の生産で生き残りました。
食の西洋化に伴い拡大した洋食器の需要に、
金属加工の技術を活かしたのです。

ハッシュドビーフ

 

現在でも燕市は「金属洋食器のまち」と呼ばれています。
優れたステンレス加工技術をもった企業がひしめいています。
三条市はプレス、金型が得意な「金物のまち」です。

 

初期のiPodの鏡面仕上げを請け負ったのが、
燕市小林研業のたった5人の研磨職人だった。
という話は有名です。

 

技術こそが時代の流れに適応する術なのです。