梅雨が明ければ暑い夏がやってきますね。
福岡で過ごした学生時代、夏といえば素麺ばかり作って食べていました。素麺にかかせないのが博多万能ねぎ!細いねぎをたっぷり小口切りにして食べる冷たい素麺は毎日食べても飽きがこず、格別でした。素麺ばかりで夏バテになったこともありましたが。

博多万能ねぎ
出典:JA筑前あさくら

この博多万能ねぎ、東京に移り住んでからも普通に買えたので安心でした。博多万能ねぎは、はじめ福岡県朝倉地域農業改良センター(現JA筑前あさくら)が「福岡高級青ねぎ」というネーミングで1976年に関東に進出したブランドねぎです。

 

ところがまったく売れず(T_T)

ご存知のように、関東は白ねぎ文化。
細く青いねぎは関東では見向きもされませんでした。

関東には「あさつき」があります。足立区や江戸川区で生産され、ねぎと異なり球根性多年草で、用途は薬味です。ですから青ねぎの需要がまったくなかったわけではなく、すでに競合が小さな市場を独占していたといえます。

 

「福岡高級青ねぎ」の課題は、ネーミングとベネフィットの乖離にありました。

青ねぎというネーミングは、戦う土俵を「ねぎ」に特定しています。その「ねぎ」の土俵の中で、関東では異色の「青ねぎ」であり、さらに青ねぎの中でも高級な品物というわけですから、自ら首を締めているようなものです。このネーミングから「あさつき」の代替というベネフィットはまったく感じられません。

しかし朝倉の市場担当者は見てしまったのです。当時朝倉のねぎが福岡市場で100g20円で取引されているのに対し、「あさつき」は関東で100g400円で取引されていることを。

このネーミングでは「あさつき」と競合することすらできていないことに気づき、「博多万能ねぎ」とネーミングを変えることにしました。これは秀逸な改名です。まず「青ねぎ」と名乗らないことで、「ねぎ」という土俵で排除されることを防ぎました。そして「万能ねぎ」と呼ぶことで、新たに「万能ねぎ」という土俵を創作して、「万能」というベネフィットで「白ねぎ」や「あさつき」と戦って優位性を出そうとしたわけです。

さらに、思い切って「博多」をつけました。
海援隊の武田鉄矢が「母に捧げるバラード」でコテコテの博多弁を披露したのが1974年。その頃ちょっとした博多ブームが起こっていました。「福岡」より「博多」のほうが知名度があったのです。朝倉の農家が自分たちの作物を「博多」と名乗ることに若干の抵抗があったことは想像できますが。

 

しかしネーミングを変えただけで「博多万能ねぎ」が売れるようになったわけではありません。ユニークな土俵を創ったところで、競合がその土俵に登ってくれなければ、戦いようがありません。

朝倉の農家は、「博多万能ねぎPR隊」を結成し、スーパーで試食会を開いたり、市場で仲買人に味噌汁を振る舞ったりしながら、「あさつき」との違いをアピールしました。「万能ねぎ」土俵に競合を引っ張りこんだんですね。

さらに、九州から東京まで35時間かかるトラック輸送を、思い切って空輸に切り替えました。JALを説得して、ねぎの包装に鶴のマークを付けさせてもらいました。収穫して翌朝のセリに間に合うようになり、鮮度をアピールできるようになりました。

ネーミングを変えてから4年後、JALの単一貨物としての年間取扱量ナンバーワンになるまで、博多万能ねぎの売上はアップ。こうして首都圏でどこのスーパーでも博多万能ねぎを見ることができるようになりました。

素麺にはやっぱり博多万能ねぎですよ。