人間潜水艦、古川勝がとった、
オリンピック金メダルのための戦略とは?
日本の勝ち方とは?

競技、
決められたルールの中で、
パフォーマンスを競い合う。

ビジネスと似ているともいえるし、
ルールブレイクもありうるビジネスとは、
異なるともいえます。

平泳ぎという競技は、
9000年前からあったと言われており、
4つの泳法の中で最古の泳ぎ方。

しかし加速と減速を繰り返すために、
効率はもっとも悪い。
そのため技術による差がつきやすい。

体格的に不利な日本人が、
オリンピックの水泳競技において、
最も多くの金メダルを
獲得しているのは、

体格だけでなく、技術で勝負
できる余地が大きいという
理由があります。

平泳ぎ最大のイノベーションは、
バタフライの誕生でしょう。

「うつぶせで、左右の手足の動きが対称」

というルールの中で、
1936年ベルリンオリンピック、
アメリカの選手が、
掻いた手を空中で戻す。
という新泳法で好成績を収めました。

そして5回のオリンピックを経て、
1956年メルボルンオリンピックから、
バタフライという競技が新設されました。

古川勝選手がオリンピックに登場した
のは、そんな時期です。

バタフライが分離独立して、
平泳ぎでは潜水距離を伸ばす
競争が始まりました。

水面を進むときには、
造波抵抗というものが、
スピードの邪魔をします。

水面より水中のほうが、
速く進むことができるのです。

古川選手は9カ月かけて
潜水泳法を極めました。

メルボルンオリンピック、
平泳ぎ200m決勝。
他の選手が20m付近で、
水中から浮上する中、
古川選手は、40m以上潜水。

当時は浮上するまで、
どこにいるかもわからなかった
そうです。

古川勝

浮上後、2潜り1呼吸を続け、
残り30メートルで首位に。
最後の15メートルで
再び潜水してラストスパート。

2位以下を大きく突き放しての、
金メダル。

子供のころから
故郷和歌山の紀ノ川の川底で、
うなぎを取っていた
古川選手が世界の頂点に立った
瞬間でした。

しかし翌年にはルール改定。
潜水泳法は禁止されました。

潜水泳法は古川選手が、
独自に考案したものだそうです。

オリンピック前年に世界記録を
樹立していた古川選手は、
世界中からマークされていました。

そして外国勢もすぐに潜水泳法を
取り入れ、決勝では、
8人中7人が潜水泳法でした。

しかし古川選手の潜水泳法は
ダントツでした。

ここに日本の勝ち方が凝縮されています。

1.日本が勝ちやすいフィールドで戦う

技術が必要な平泳ぎ

2.改善を重ねてトップクラスになる

  古川選手は前年に世界記録

3.論理に基づいた技術革新

  造波抵抗のない潜水泳法

4.新しい技術を、さらに改善を重ね「極める」  

他がマネしても追いつけない

 

これが全部できたら、苦労はしません。

でも実のある苦労をしたいですね。

 

日本が得意なのは、
2種類の改善活動と論理的な技術革新
の組み合わせ。

その詳細はまたの機会に。

 

その後、潜水泳法は、
背泳ぎ、バタフライで取り入れられるも、
ルール改正により距離制限。
そしてなんと、
本来自由であるはずの自由形でさえも、
15mの潜水距離制限ルールが、
追加されました。

それほど古川勝の考案した
潜水泳法は、破壊力抜群の
イノベーションだったのです。