一昨日から、
「群知能 boidモデル」
という検索キーワードで、このブログを訪問する方が急増しました。
この記事にヒットしたようです。
幼いころ、アリの行列をじっと見つめているのが好きでした。たまにちょっと障害物を作ったりして、それでアリたちがどうするのか、眺めていると時間を忘れました。
こういう純粋な好奇心が、科学的態度の糸口というものなのでしょう。それがなんの役に…
記事の要旨は、
鳥の群れの動きは、boidモデルと呼ばれるたった3つの規則でシミュレーションすると自然に見える。鳥の群れの動きは科学的に解明されたわけではないが、技術によって科学的解明のヒントがもたらされたといえる。
このブログを書いたのは、STAP細胞問題で騒然としていた頃。私は「科学と技術の違い」という切り口でいくつかのブログを書きました。2年ほど前のブログなので、改めて読んでみると自分の文章とはいえ新鮮な感覚。昨年の9月に書いた「黙の知」に関するブログと頭の中でシンクロしました。
吉野家のうまさへのこだわりは、「見えない知」として組織の中に存在します。
この集団の中に埋め込まれている知を、我が恩師常盤文克(元花王会長)は、「黙の知」と名付けました。
一般的に、経営学では「暗黙知」がよく知られて…
集団の知である黙の知は、つかみどころのない知です。
確かにあるんだけれども、どこにあるか定かではない。
そんな知です。
今年の大相撲名古屋場所、横綱白鵬が新鋭関脇逸ノ城を、本場所の取り組みで寄り切った直後、軽くアッパーの一撃を食ら…
boidモデルも黙の知も、集団の知について分析を試みています。鳥の群れには共通の規則(知:boidモデル)があり、それが群れの動きを決定づけている。人の集団には見えない共通の知(黙の知)があり、それが集団を特徴づけている。
違っているのは、boidモデルはシンプルなルールで複雑な集団の動きが生まれるという発見であったのに対し、黙の知は、見えない知は明文化できない。としていることです。
しかし、boidモデルが鳥をいくら科学的に分析しても共通の知を突き止めることができなかったのと同様、人の集団の知も明文化できないのは、単にこれまでの分析的アプローチでは見えないだけなのではないか。そのように考えることができます。
たとえばソニーという会社と東芝という会社は、やることも出してくる商品も違います。でもどこかソニーらしさとか東芝らしさのようなものを感じます。そしてソニーの人はいかにもソニーの人っぽい行動をし、東芝の人は東芝の人っぽい発言をしたりします。何がどう違うのか分析しても、会社の動きや人の行動、発言は複雑すぎて定性的に分析しきれません。
でも実はものすごく簡単ないくつかの規則(知)の違いによって、二つの会社の動き方の違いが生まれていると考えられないでしょうか?
たとえば、上司をさん付けで呼ぶか役職で呼ぶか、みたいな、、、
ソニーだったら、井深大のように探求し、盛田昭夫のように行動する。という意識が、ソニーらしさの原点。それをboidモデルのように単純化した規則に落としこむことができたら面白いですね。
- 投稿タグ
- 技術蓄積