フリーズドライ加工で業界トップクラスのアマノフーズ。世界最大規模のフリーズドライ設備を持ち、年間4000万食のフリーズドライお味噌汁を出荷しています。ブロックタイプのお味噌汁で60%のシェアを誇ります。

アマノフーズ
出典:アマノフーズ

その沿革には、

1971年9月大手食品メーカーから委託を受けてフリーズドライの即席麺用具材を開発した。

と書かれています。

真空凍結乾燥機の設置により、大手食品メーカーから技術力への注目が高まりました。天野肇が開発したラーメンスープ用フリーズドライ調味料が採用されたことをきっかけにフリーズドライ製品は発展を始めました。当時委託を受けたカップラーメン具材の開発は手探りの中進められ、知恵の結晶が詰まったそのカップラーメンは大ヒットとなったのです。

出典:天野実業株式会社 沿革

カップヌードルが発売されたのが、1971年9月。

のちにアサヒビールの関連会社になったアマノフーズは、その大手食品メーカーの社名を、大人の事情で明記することができないのかもしれません。

 

一方、日清カップヌードルのヒストリーにはこのように書かれています。

当時の日本ではフリーズドライの技術水準が低く、供給量も十分ではありませんでした。そこで安藤百福は、自ら会社をつくって冷凍技術の内製化をはかり、この壁を乗り越えたのです。

出典:HISTORY of CUPNOODLE

なるほど!うまいこと書いてありますね。
内製化したのは冷凍技術。真空乾燥技術はおそらく内製化したのではなく委託したのでしょう。こういうところでの「オレがやった」アピール、大企業はうまいですね。

 

フリーズドライ技術とひとくちにいっても、冷凍技術も真空乾燥技術も必要です。また開発というフェーズと量産化というフェーズは、まったく違う技術を求められます。そしてなんといっても、「3分間で食べられる具の入った即席麺」という大目標を掲げたことが技術革新を進めました。こういった大企業と中小企業の共同開発が日本の技術力の背景にあります。

日清で安藤百福に具の開発を命じられた大野一夫氏は、2年後に日清を退職。フリーズドライの技術を世界に広めることに多大な貢献をしました。