1928年、岡本硝子は現社長岡本毅の祖父、
岡本一太郎によって創業されました。
創業当時の主力商品は工芸ガラス。
岡本一太郎は優れたカットグラスの作品を数多く残しています。
父母共にガラス工業関係者という環境に育った一太郎は、
若年よりガラス業界に身を置き、
26歳で当時日本の特殊ガラスのパイオニアであった
岩崎硝子で新事業を開始しました。
それがカメラの黄色フィルターの生産でした。
ついで緑色のガラスの開発にも着手。
一太郎はここでガラスの着色技術を身に着けました。
独立して岡本硝子を創業し、カットグラスの生産が中心でしたが、
一太郎の技術は国も認めるところとなり、
創業翌年、海軍省と鉄道省の指定工場となります。
船舶用の照明ガラス、鉄道用の信号灯ガラス、どちらも
厳しい風雪に耐える耐久性、
熱源の高温に耐える耐熱性
が要求されました。
そしてなによりも、赤色、緑色、黄色などの高度な
着色技術が問われたのです。
出典:船舶照明用ガラス 船舶照明用ガラス
岡本硝子は国の厳しい基準にも高い信頼性で応えました。
この技術蓄積が戦後功を奏し、
朝鮮戦争特需における造船界の好況の波に乗り、
業界に先んじて船舶用ガラスのJIS表示許可工場に。
全国の造船所の8割のシェアをとって、
飛躍的に業績を伸ばしました。
飛躍の瞬間は、海軍省と鉄道省の指定工場になったときです。
それまで岩崎硝子で磨いてきた着色技術が、
工芸ガラスというアウトプットとして、
海軍省と鉄道省の目に留まったのです。
最も厳しい基準を要求する国を顧客とすることで、
岡本硝子の技術は、さらに磨きあげられることになりました。
さらに、着色技術だけでなく、耐久性、耐熱性という
新たな技術力を、顧客の要求から身に着けることになったのです。
次回は、岡本硝子が最初の飛躍で学んだこと
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