私が生れた1960年代は、
車のヘッドランプはガラス製でしたね。

湾曲したヘッドランプの配光を計算通り実現するには、
ガラスの溶解、金型、成型どれをとっても、
高度なテクニックが要求されました。

 

そういった高度な技術を土台に、ヘッドランプの生産と
並行してデパートのディスプレイ照明に使う
反射鏡の生産を行っていた岡本硝子。

車のヘッドランプと反射鏡の大きな違いは、
光を透過させるか、反射させるか。
当時は岡本硝子がガラス製造、別の会社が
反射鏡のコーティングという分業体制を
とっていました。

それを部品として、商品ディスプレイ照明メーカーに
卸していたわけです。

 

1975年、ベトナム戦争終結をきっかけに、
ファッション業界は多様化の時代に突入しました。
個性的なデザイナーが多く輩出され、買う方も、
時代のトレンドを追うよりも、自由に好みのコレクションを
選択するようになりました。

ケンゾー、イッセイ・ミヤケ、イヴ・サンローランなどが、
活躍した時代。

デパートも、そういった個性的なコレクションを、
より魅力的にディスプレイするために、
様々な工夫をするようになりました。

ショーウィンドウ

デパートはショーウィンドウをより美しく、商品を
より魅力的に見せるために、服の微妙な色彩を
忠実に再現できる太陽の下と同じような照明を
求めていました。

 

そのような要望を知っていた商品ディスプレイ照明
メーカーは、部品供給している岡本硝子に、
光を反射させて、太陽光と同じような光にできないか?
と相談をしました。

お椀状に湾曲したガラスの内面に特殊なコーティングを
すれば、いろいろな光を発生させる反射鏡を
製造できることは、すでに知られていました。

 

岡本硝子は、きわめて高度なガラス成形技術をもっており、
技術力には定評がありました。しかし、開発は容易には進まず、
太陽光に近いものはできず、バラツキが多すぎて
使い物にならない状態が続きました。

お椀状のガラスに特殊なコーティングをするためには、
真空蒸着の技術が必要でした。開発を重ねる中で、
岡本硝子は「問題は膜にある」として、これまでの
開発方法を根本的に見直し、それまで外部の業者に
任せていた表面膜処理の開発を、自社で行うことにしました。

 

つづく

 

この開発ストーリーのポイントは、

1.岡本硝子は、ヘッドランプ市場に比べて、市場規模の小さな商品ディスプレイ照明市場からの要望に対して、なぜ力を入れて応えようとしたのか?

2.商品ディスプレイメーカーが相談を持ちかけたのは、なぜ
膜のコーティング会社ではなく、岡本硝子だったのか?