「変わり種の集団だからソニーは成長できた」--盛田昭夫
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雑誌『経済界』1983年のインタビュー記事。

これを読んで、盛田昭夫という人と一瞬でもソニーですれ違ったことの幸運を感じます。

思えば学生時代、盛田昭夫の『MADE IN JAPAN』を読んで、井深大と共に戦後創業したソニーのストーリーに興奮し、ソニーを志望することを決心したのでした。

このインタビューの冒頭、盛田昭夫はこのように述べています。

「井深さんの人柄にホレて、その理想を実現しようという人が集まった。それが社風になり、ここまできたという気がします。」

これがソニーの過去、現在、未来のすべてを物語っていると私は思います。

 

ソニーにいるときには実感できなかったことですが、会社はなんだかんだ言ってオーナーのもの。オーナーがいなくなった時が最大の危機。その後会社が回り続けたとしても、オーナーの魂は会社のあらゆるところに埋め込まれています。

ソニーのオーナーは井深大です。ファウンダーと呼ばれる盛田昭夫でさえ謙虚に、「井深の人柄に人が集まったのだ。」と表現しています。

 

ソニーは井深大が存命のときに、一大変革をし損ねました。

井深大は1969年に幼児開発協会を設立、1971年には『幼稚園では遅すぎる』というセンセーショナルな著書を出し、教育活動に真剣に取り組むようになります。ソニーの将来を担う若手社員の教育をトコトン突き詰めると、0歳児、胎児の教育にまで辿り着いてしまったのです。さらに井深の人(ヒト)に対する探究心はとどまるところを知らず、1991年、エスパー研究所をソニー社内に設立するに至ります。

エスパー研究所は、生体が介在する新しい情報伝達現象について探求する研究所で、くだいていえば「超能力」や「気」の研究所でした。科学の範疇に収まらない現象までをも扱うため、当然ながら社内外で賛否は分かれました。

1992年に入社した私は、社内の技術交換会でエスパー研究所が大まじめにOリングテストの実演をやっていて、「いい会社に入った」と心から思ったものです。ところが、それから井深大の体調が悪くなり1997年逝去した翌年、エスパー研究所は閉鎖されました。

ソニーの経営の第一線から退いてから井深大が取り組んだ、教育と超能力。ソニーの事業から考えれば、ぶっ飛んだ領域ですが、このときからソニーが真剣に取り組んでいれば、今頃は世界の最先端を走っていたのでは、と10年後には惜しまれることになるような気がしてなりません。

ソニーが得意にしていたのは「科学」ではなく「技術」です。教育と超能力の分野で、ソニーの得意な「技術」を活用できる領域はいくらでもあります。

そんなソニーが4月1日から「株式会社ソニー・グローバルエデュケーション」をスタートさせました。ネットワークを活用した教育サービスを世界展開するとのこと。井深大の魂を受け継いたぶっ飛んだ発想で、世界の教育を変革してほしいと願っています。

ソニーグローバルエデュケーションロゴ
出典:Sony Global Education

 

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