昨日のブログでは、



出社⇒会議⇒会議⇒昼食⇒会議⇒会議⇒会議⇒会議⇒帰宅

こんな無残な毎日になっていませんか~?

 

自分の残り時間が無い。ということにひっかけて、

無残

と表現しました。

というのも、ソニー時代、まさに会議だらけで無残な気持ちになった経験があるからです。

 

この「無残」という字は、当て字だそうですね。
元は仏教用語で、「無慙(むざん)」が語源。

「慙」は恥ずかしく思うの意味。

つまり「無慙」とは、恥と思わないさま。

たとえば「破戒無慙」という言葉があり、戒律を破っても、それを恥とも思わないようすを表します。

それがどうして、むごたらしく、痛ましいこと。という意味になったのかよくわかりませんが、現代の若者言葉、

「イタい」

に近い意味なのかもしれません。

彼岸花

やがて、「無慙」は「無残」「無惨」という字が当てられるようになったようです。

ですから、残りが無くなった。という意味ではなかったんですね。

 

最近でいくと、エンブレム問題で記者会見した東京オリンピック事務総長の「1ヶ所に責任があると思わない」という言葉。

会議という責任分散システムが生み出した「無残」。

合掌