昨日は、話題のSTAP細胞の画期的な作製「技術
の発見について書きました。

昨日の新聞には、もうひとつの発見についての記事が
あり、私が心打たれたのは、どちらかといえば、
こちらのニュースです。

「卑弥呼の鏡」は魔鏡


Bronze_Mirror_in_Ancient_Japan_s


写真:Wikiwikiyarou

 

三角縁神獣鏡は、弥生時代、倭国の卑弥呼が、
魏から与えられたものという説があります。

そのレプリカを流行の3Dプリンタで複製して、
太陽光を鏡面に当てて、反射させたところ、
鏡の裏側にあるはずの神獣像が壁に映しだされた。
というのです。

これって、卑弥呼の時代に人々にとっては、
驚異ですよね。

テレビの存在を知らないジャングルの民族が、
はじめてテレビを見た時の驚き。のような。

 

歴史学者は、
為政者がどのようにこの魔境を使ったのか、
ということに強い関心を示していますが、
私は、
当時の職人がどうやってこれを作ったのか。
ということに、思いを馳せてしまいます。

 

鏡の最も薄い部分は、たった0.8mmしかありません。
鏡の裏に立体的な神獣を造形したうえで、
職人が鏡を限界まで、薄く磨いていったもの
と考えられます。

鏡をピカピカに仕上げるだけであれば、
ここまで薄くする必要はありません。
磨きすぎて限界をひとたび超えてしまえば、
その鏡は使い物にならなくなります。

また、薄すぎれば、
使用時に壊れてしまうかもしれません。

どこまで薄く磨くのか?
職人の中に葛藤があったはずです。

 

こんなストーリーはどうでしょうか。

ある時、鏡を磨くのが下手な職人が、
きれいな鏡面をつくるために、
磨いては失敗し、磨いては失敗しているうちに、
磨き過ぎていることに気付く。

親方から、こんな薄くなった鏡は、
使いもんにならん、と怒られた職人は、
失敗作を密かに家に持って帰る。

自分の仕事を息子に見せたくて、
職人は密かに持ち帰った鏡を、
家の外の明るいところに持っていく。

すると、鏡に反射した太陽光が、
たまたま家のくらい壁にあたり、
そこには神獣の像が浮かびあがる。
職人は腰を抜かす。

 

こうして鏡を薄く磨くと魔鏡ができる。
という知識と技術が、継承と改善を
繰り返す中で、極限まで薄さを
追求する職人が現れる。

磨いては太陽光に反射させて、
壁に映し出される神獣をにらみながら、
もっと像をはっきりとさせるために、
さらに磨きすすめる。

アナログよりデジタル。
標準よりハイビジョン。
2K→4K→8K

と追い求める現代の技術者と、
なんら変わらない姿勢ですね。

 

限界まで薄くなった鏡は、
破損するような品質では、
首を切られることもあったでしょう。

そこには命をかけた、品質管理が
あったはずです。

保守的な職人は、神像のクオリティーより、
壊れないことを優先したでしょう。
フロンティア精神に満ちた職人は、
もっと薄くもっと薄くと考えたはずです。
美しい神像のためなら、自分の命のことは、
忘れてしまうこともあったでしょう。

こういったイノベーティブな職人たちが、
より性能と品質の高い量産化を実現していった
のです。

 

現代でもそのイノベーションの真髄は、
変わらないのです。