♪明治ブルガリアヨーグルト

これを口ずさむことのできる人は、かなり多いはず。

サウンドロゴ

といいます。

 

スーパーでブルガリアヨーグルトを見つけた時、
多分あなたの頭の中で、このサウンドロゴが鳴っています。

ブルガリアに旅行したとき、
一度は頭の中でこのサウンドロゴを鳴らしたはずです。

ブルガリアという単語が出てきたら、
すぐさま思い浮かぶワードは、ヨーグルトであり、
その直後からこのサウンドロゴが、脳の一部を占拠するはずです。

 

聴くまでもないですが、本物を聴きたくなったらこちら。
明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン特集

森田公一さんによる作曲です。

 

 

明治ブルガリアヨーグルトに、2月24日から
大きな変化があったことをご存知でしょうか?

明治ブルガリアヨーグルト 出典:明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン特集

 

 

添付されていた、グラニュー糖が廃止されました!!

これは、明治ブルガリアヨーグルトが1973年に発売されて
以来の、悲願がついにかなった。と私は勝手に思っております。

 

 

ハナシは発売当初に戻ります。

1971年、昭和46年、日本におけるそれまでのヨーグルトは、
発酵乳に砂糖と香料を加えて、寒天などで固めたものでした。
駄菓子屋で10円で売っていた、小さなカップのヨーグルトなんて、
乳製品ですらなく、グラニュー糖とショートニングに、香料と
酸味料を加えたものでした。

しかし明治乳業の社員が、1970年大阪万博のブルガリア館で、
本物のヨーグルトの味を知ってしまったのです。
すぐさま開発にとりかかり、あらゆる試行錯誤を重ねて、
翌年、本場の味を再現した「明治プレーンヨーグルト」
を発売しました。

しかし本物の味は、それまでの甘いヨーグルトしか知らない
日本の消費者には受け入れられず、一日数百個しか売れない
時期もあったそうです。

 

ここで明治乳業はあきらめませんでした。
既存の消費者の嗜好に合わせるのではなく、
真逆の本物志向を貫いたのです。

 

ここが飛躍の瞬間です。

 

そのひとつの表れが、ブルガリア政府から、
正式に「ブルガリア」という名称を使うことを、
認められたことです。生半可な意志では、
こんな難しい交渉は進みません。

その強い意志の根拠となったのは、
イノベーター層(商品導入期の珍しもの好きの人たち)
のフィードバック、「こういう本物の味を待っていた」
という手紙でした。

こうして商品名が、
「明治ブルガリアヨーグルト」
になってから、徐々に売り上げが伸び、
現在ではトップシェアを独走しています。
最初の少数の顧客の声が、必ずしも正しいとは
限りません。しかし、自分たちの成し遂げたいこと、
と一致したとき、これは共鳴、共感が起こったということです。

新製品は顧客との共鳴を産みだしながら、
育てていくものなのです。

 

 

さて、本物志向を貫き通したブルガリアヨーグルトですが、
唯一、過去の消費者の要求に引きずられていたのが、
グラニュー糖の添付です。これで甘さを調節したい
消費者は、はじめは少なからずいたでしょう。

そしてようやく明治は決断しました。
自分たちの創造した本物のヨーグルト食文化は、日本に根付いた。
もうシュガーはいらない。と。

明治ブルガリアヨーグルトは40周年を迎えました。