2020年、東京オリンピック開催決定。
舛添都知事は、老朽化の進む首都高の大規模改修を、
東京オリンピックまでに完了する意向を述べました。

 

首都高は前回、1964年の東京オリンピックの2年前、
1962年に開通しました。
1950年代後半は、東京オリンピック開催が決まり、
首都高の建設も急ピッチで進みました。

当時、船舶用の耐熱ガラスで8割のシェアを持つ岡本硝子は、
業界初のJIS取得などの信頼性を買われ、
首都高の水銀灯のカバーガラスの製造を一手に
引き受けることになりました。

高速道路の水銀灯は、白熱灯に比べると発熱量が
非常に高いため、雨や雪での急冷作用に極めて
堅牢に耐える必要があります。

岡本硝子の水銀灯用カバーガラスは、光学面、物性面の
特性で他を圧倒していました。

高速水銀灯

 

高度な着色技術が認められ、小さな工芸ガラス生産
から、船舶、鉄道用の耐熱ガラスを生産するようになった
岡本硝子。新たに獲得した耐熱技術によって、
高度成長によって生まれた新たな需要、
高速道路の水銀灯カバーガラスの市場に適応
することにできました。

 

ここで岡本硝子が学んだことは、

新たな顧客の厳しい要求に応えるために獲得した、
新たな技術を、さらに高度化し蓄積すると、
さらなる新たな顧客の要望に応えることができるようになる。

ということです。

 

この学びが、デンタルミラーの開発のときに活かされました。

ドル箱の車のヘッドランプ市場。
それに比べて、小さなデパートのディスプレイ照明市場。
その市場から、自然光に近い反射鏡という新たな要求。
その厳しい要求に、社員を他社に派遣してまで応えたのは、
それによって獲得する新たな技術が、未知の市場開拓に
つながることを確信していたからに違いありません。

その時点で、それがどんな新たな市場なのか、
どれくらいの規模の市場なのか、
そんなことは誰にも予測できないのです。

それでも厳しい顧客の要求にくらいついていく決断が
できました。
実際、デパートのディスプレイ市場は小規模でしたが、
そこで得た多層薄膜コーティング技術によって、
デンタルミラーの世界シェア80%を獲得するまでに
なるのです。

 

そして岡本硝子は、デンタルミラーから、
さらに大きな市場開拓にチャレンジし、
飛躍、成長することになります。

つづく。