用途は明かせないが、極めて高熱を発するランプが必要。
その熱に耐えられ、かつ可視光線だけを反射して、
赤外線、紫外線を透過させる反射鏡を作ってほしい」

 

1989年、岡本硝子にこう依頼してきたのは、シャープ。

 

岡本硝子はその依頼に見事応え、
この年、シャープは液晶プロジェクターの1号機
XV-100Zを48万円で発売し、
その後のホームシアターブームの先駆けとなりました。

それまでのプロジェクターは、ブラウン管式で100万円以上
するもので、液晶式に比べれば暗くぼやけた映像でしたので、
XV-100Zは大ヒットになりました。

プロジェクター反射鏡

出典:岡本硝子

 

シャープは1989年中に発売することを決めていました。
しかしシャープが岡本硝子に依頼してきたのが、1989年になってから。
ということは、シャープは別の方式を考えていたがうまくいかなかったか、
他の協力会社に依頼していたものの目途が立たなくなったのか。

いずれにしても、岡本硝子にとっては、
超難易度の高い開発設計生産を、超短期間でやってくれ。
と依頼されたわけです。

 

1.なぜシャープは岡本硝子に依頼したのか

岡本硝子がデンタルミラーですでに不動の地位を築いていたから。
デンタルミラーには、独自に開発した多層薄膜コーティング技術が
使われており、反射鏡によって光の色や熱をコントロールできた。
また、創業以来、岡本硝子の耐熱ガラス技術は高い信頼性を
誇っていたから。

 

2.岡本硝子がシャープの依頼を断らなかった理由

用途は明かせない。という依頼は、そもそも市場規模が
見えません。シャープの本気度と苦境は話から伝わってくるとしても、
ただそれだけでは決断できません。

岡本硝子が過去5回の市場転換で学んだことは、

・こだわりの技術を商品化すれば、新たな顧客の目に留まる。
・顧客の厳しい要求が自分たちを成長させる。
・新たな顧客の厳しい要求に応えるために獲得した、
新たな技術を、さらに高度化し蓄積すると、
さらなる新たな顧客の要望に応えることができるようになる。

 

岡本硝子は、シャープの依頼を新たな市場開拓のチャンスと
捉えました。たとえその市場が予測できなくても、
開発に成功すれば、技術は進化、高度化し、
会社と人に残る

5回の市場転換を乗り越えてきた、会社の中に、
組織として、そして組織を構成する人の中に、
成功体験として、感情として、決断の優先順位として
この学びが埋め込まれてきたのです。

 

岡本硝子は、シャープの依頼に対して、
3か月で材料開発を完了させました。
ところが、シャープの商品発売3か月前に量産の指示を
受けてから、試作品を納入してみると、
反射鏡が高熱で割れてしまうことがわかりました。

岡本硝子は、朝いちばんで試作品をシャープに持ち込んで
テストをし、夕方自社に結果を持ち帰って夜中に試作し直す。
翌朝、また持っていく。ということを繰り返し、
血のにじむような努力の末、無事量産に間に合わせました。

 

この苦闘が、のちの第7の市場転換で、さらに大きな市場開拓に
つながっていくのです。