ミヤタサイクルは、創業1890年と古く、
空気入りタイヤの自転車を、
国内ではじめて量産化したメーカーです。

宮田自転車
出典:日本初の安全型自転車

 

元は宮田製銃所といって、
江戸時代、藩お抱えの鉄砲師宮田栄助が、
明治になって創業した鉄砲を製造販売する
会社でした。
宮田栄助は、明治維新以降はしばらく
人力車などを作っていたようです。

1894年から95年の日清戦争では、
富国強兵、殖産興業の国の後押しもあり、
最新の輸入工作機械により、
大量の宮田銃を供給しました。

1901年、狩猟法が改正になり、
猟銃の売上が激減したことを契機に、
宮田製銃所は、工作機械を
次の戦争のために使うのではなく、
自転車の専業メーカーとして、
再出発する決断をし、
宮田製作所と名前も変えました。

銃は、鋼の丸棒をくりぬいて銃身を
作ります。その技術をそのまま応用し、
自転車のフレームを製作しました。

 

江戸時代からの鉄砲師の家系。
業態転換はかなりの決断です。
日清戦争の前年に、
自転車の試作車を完成させている
ところをみると、
戦争前に気持ちはすでに自転車に
傾いていたように思えます。

宮田栄助が人力車を作っていたことも、
影響が大きそうです。

 

時代の流れの中で生き残るために、
それまで作ってきたモノに
こだわるのではなく、
持っている技術にこそ、
こだわるべきいい事例です。