娘が高校受験を控え、
将来の進路について、いろいろと考える
ことが増えました。

勉強

 

高校では、途中から理系、文系に分かれる
ところが多いのですが、
早いところでは、高校2年からクラスがわかれます。

ということは、高校1年の間に、
自分が文系か理系かを、決めておく。
ということになります。

なんだかあっというまに、
決めなきゃならないんだな。
と思うと同時に、

理系、文系に分けることに、
どんなメリットがあるのかな。

と疑問にも思います。

 

娘に勉強を教えていて、
感じることがあります。

ひとつは、

中学で勉強することは、
将来役に立つことばかり。

ふたつめは、

どの科目も、
学ばせたいことが、実は共通。

ひとつめについては、
例えば公民の流通に関する単元などは、
直販ビジネスにダイレクトにつながる
知識や考え方がつまっています。

参考:中学生と学ぶ直販シリーズ

中学生と考える楽しい直販
中学生と学ぶ流通と直販
中学生と学ぶ小売と直販
中学生と学ぶ卸売の衰退と直販

ただ、それを中学の社会の先生が、
本質を教えられるかどうかは、
はなはだ疑問ではありますが。

 

ふたつめについては、
たとえば、数学。

数学は一見、数字や文字を使った計算問題の
延長線上にあるように見えます。

しかし、娘がつまづく箇所を分析してみると、
国語力あるいは言語力でつまづいていることが
多いのです。

私はこのように考えます。

数学でまず求められるのは、
「文章」という言語を「数学」という言語に置き換える力。

次に、論理的な思考力。つまり三段論法や、
帰納法、演繹法の駆使。

そう考えると、これは文章を書いたり、
なにかを主張、説得したりする国語の力、
そのものでもあるのです。

同じように、英語も、

「日本語」という言語を「英語」という言語に置き換える力。
そして、英語を使った論理的な思考力。

国語は論理的な思考力に加えて、
人の感情の分析、
現代語と古語の置き換え力。

理科は、科学という言語の使い方、向き合い方。
社会は、人の感情が集団になるときの変化の分析。

 

つまり、中学の5教科は、

いろいろな言語(国語、英語、古語、数学、科学)で、
ものごとを論理的に思考する力。
人の感情と集団の動きを考察する力。

この2つを、手を変え品を変え学んでいる
と考えることができます。

 

そしてこの二つの力は、
社会に出て、サラリーマンだろうが、
個人事業主だろうが、
ビジネスには欠かせない力です。

そうすると、理系、文系なんていう
分け方は、受験や大学の学部を選択する
ためには便利かもしれませんが、
現実の社会には、
あまり関係ありませんね。

 

オレ、理系。
わたし、文系。

とかいうのは、

オレ、O型。
わたし、A型。

くらいの感じでしょうか。