昨日の

筑紫もちと桔梗屋信玄餅、どっちがうまいか最終決戦

では、

審査委員長の結論は、

筑紫もち

理由は、「なつかしい味だから」

これに対して、ある友人宅では、
信玄餅が奥様の好物で、
お土産でいつもおいしくいただいているとのこと。

我が家の審査委員長の意見は、
世の中の大勢の人にとって、参考になるとは、
とても言えなさそうです。

 

結局、その人が、
気に入っている慣れた味というのが基準で、
それと似ているけれども、少し違った味のものは、
素材がよかろうが、硬かろうが、柔らかかろうが、
「いつもと違う」
という評価であって、
「おいしい」
にはつながりにくいですね。

 

では、作り手としては、
どうやって「おいしい」ものを作ればよいのでしょう?

 

人それぞれに、食の経験が異なり、
慣れた味もあれば、新鮮な味というのもある。

ある人がおいしいというものが、
ある人はおいしくないという。

 

2つの極端な戦略があります。

ひとつは、

1.10人中8人がおいしいという言うものをつくる

これができればたくさんの人に喜んでもらえそうです。
ただしこの発想は、テレビコマーシャルに出てくるような、
大企業の発想です。全国の人がお客様。
大量に作って、大量に露出して、大量に売る。
工業と呼ばれる世界です。

ふたつめは、

2.私がおいしいと思うものをつくる

大切な考え方です。自分がおいしいと思えないものは、
つくりたくもないし、売りたくもない。
しかし、こだわり過ぎると、アーティストの世界になります。
人がなんと評価しようと関係ない。
つくりたいものをつくる。
真のアーティストはこうでなくてはいけません。
芸術と呼ばれる世界です。

 

この二つの極端な戦略の間に、数多くの
おいしいものをつくるアプローチがありそうです。

個人を出発点とした芸術のアプローチと、
大衆を出発点とした工業のアプローチ。

私が大学で専攻した、「芸術工学」という学問は、
この2つのアプローチ、
どちらからも考えることのできる人材を輩出する
ことがひとつの目標です。

 

おいしい。という感覚は、主観的なものです。
ひとそれぞれ違います。
しかしある側面では一般化できる要素もあります。
どんな素材や調理技術を組み合わせれば、
おいしいと評価されるものができるか。

主観的な評価と、技術、このふたつをつなげて、
ある落としどころを見つける。

これを「デザイン=設計」と呼びます。

 

街のラーメン屋さんは、そんなこといわれなくても、
間違いなくラーメンを「デザイン=設計」しています。

自分の舌を信じ、技を信じ、感性を信じる。
一方でお客さんの反応を想像し、お客さんに「おいしい」
といってもらえるラーメンを試行錯誤する。

自分視点とお客さん視点をいったりきたりしているはずです。

ラーメン

そしてこのおいしさのデザインは、
規模の大小を問わず、
街の定食屋からチェーン店の吉野家まで、
毎日繰り広げられているのです。